『なっちゃんの真っ白日記 実は読んでるよ』
そんな優しい声を聞くことが少しずつ増えてきて
ウェディング人生19年分のまだ
2年分しか歩んでいないけど
みんなに歩みをみてもらえているようで
とっても嬉しい。
ありがとう^^
23歳のわたしは
溝の口のゲストハウスで
一日が5時間しかないんじゃないかと
思うような毎日を過ごしていた。
終電、始発
がむしゃらで
引き出物のダンボールを運んで
椎間板ヘルニアになりかける。
腰にコルセット巻いて
大学の時のバイト時代の友達に
車で送り迎えしてもらった
こともあったな。
夢中だった。
お休みの日はもったいなけど
眠くてしかたなくて
一日寝てしまった、なんてことはしょっちゅうで
仕事以外のときは眠さしかなかった時代。
(今は全然眠れないのに)
自分の身体のケアは出来なくて
高校時代から引きずったまま
わたしは自分で生理を起こすことが
まだ出来なかった。
23歳なのに。
愛のない先生の
産婦人科でもらう誘発する薬で
無理に生理を
起こすのがとても嫌で
やめた。
そんな時 たまたま出会った
韓国の漢方薬。
気長に飲もう~
自分のことは後回し。
溝の口のゲストハウスで
とにかく夢中で頑張って
良き成績を残す。
ここで経験したことは
売り上げの管理も収支も年間事業計画も
広告戦略もすべて自分でやること。
この会場を自分の会社のように
経営すること。
ウェディングのコーディネートと同時に
徹底して学べた1年半だった。
たまに
ほんのたまに
ブライダルフェアの手伝いで
ゴトウフローリストに行ける時があった。
六本木の駅を降りた途端から緊張して
会場に入る前から呼吸し辛くなって
憧れの手の届かぬ人に
会いにゆくみたいな気持ちで
花たちに会いにいったな。
悔しいからそんな気持ちは
誰にも見せないようにして。
そんなわたしが
24歳になった時 転機が訪れる。
会社の社長に呼ばれる。
ナツは溝の口で頑張ったから
次のステージだな。
『やっと来た』
六本木に戻れる。
あの花たちとウェディングができる。
泣いてしまいそうなくらい
高まる高揚感とともに
その話を受け止めようとしていたわたしに
社長が言ったこと。
『恵比寿ガーデンルームを建て直しなさい』
恵比寿ガーデンルーム
恵比寿ガーデンプレイスにある
イベントホール。
ウェディングの売り上げが激減し、
誰も手がつけられない
今は息していない場所。
1年半の努力が実ると思った矢先の
予想外の展開で
悔しさと不満と不安で
すぐに言葉が出なかったけど
この舞台が今わたしが最高に愛してやまない
空間であることは間違いない。
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23歳から24歳にかけては
夢中でがむしゃらに
走り抜けていた毎日。
今もウェディングに夢中でならないのは
全く変わっていない(むしろ強まる一方で)
とっても簡単じゃなくて
とっても繊細で
とっても愛おしくて
いつだってわたしを
夢中にさせてくれるんだから
そりゃ
わたしにはウェディング以上の
イケてる彼を見つけるのが大変よね^^
Natsu.