Planner Blog

2018/12/08
natsu

生まれてウェディングと共に生きて 23

わたしが六本木を離れて

溝の口のゲストハウスへ。

素朴なアットホームな

ゆったーーーーーりとした空気

誰も急いでない空気。

六本木にいく時の高揚感、緊張感

そんな空気とは縁遠い場所。

オープンしたばかりのこの場所

ほぼ立ち上げの段階。

 

のどか。

 

この会場を担当する先輩のプランナーについて

ここから新たな毎日がはじまった。

 

そのころ

六本木ゴトウフローリストウェディングには

他の担当者がついた。

OLから転職してきた背が高くて明るくて

綺麗な女性。

 

転職してすぐに担当を持った会場が

ゴトウフローリスト。

ただただ悔しかった。うらやましかった。

泣いて泣いて 悔しくて

 

この場所を愛するとこころに決める。

 

わたしがこの溝の口の会場で組んだ先輩は

とっても考え方がシンプルでビジネスライク。

考え方がひとつも合わない。

 

こらこら愛がないよ

 

わたしはいつも心に思う。

 

そんな中、先輩が急に辞めることに。

私は23歳にしてこの会場をひとりで任されることになる。

新規接客をしながら

ウェディングを担当して打ち合わせをして

当時はメールの文化も少なく

お客様からの質問はすべて電話。

子機を片手に持ちながらウェディング本番も担当。

 

今では到底考えられない。

 

でも全部のウェディングが

全部愛しくて

とにかく一生懸命走り続けていた。

 

そんな若きわたしの姿を見て

ウェディングのチームのみんなは

一緒になって必死で頑張って

応援してくれたな。

 

そんなのどかな溝の口の会場は

年間86組になっていた。

わたしともうひとりの新人の子で。

 

終電でも始発でも

何があってもやり抜けた。

お客様との会話が楽しくてならなくて

苦しいなんて思わなかった。

 

うちに秘めた想いは六本木ゴトウフローリスト。

 

あの花の空間ウェディングが

出来るようになるまで

わたしはもっと大きくなるから

待っててね。

 

いつも自分にそう伝えながら

走り続けた23歳の1年間。

 

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この溝の口で出会ったお客様たち

たぶんどのお客様もわたしより年上だったけど

そんなこと全く気にせず

仲良くしてくれました。

当時わたしはインターンシップに来た大学生の彼と

付き合っていて

その彼と4人でごはんに行ったり

彼を紹介することも多かったな。

 

今思えば 目標であり

憧れの地があるからこそ

この場所を愛せたのだと思います。

 

ウェディングって場所じゃない

人と人とで作るもの。

 

その感覚が備わってきたのは

きっとこの頃から。

今のわたしの感覚があるのは

きっとこの時期から育まれていたのだと

思います。

この18年前から。

 

Natsu.