Planner Blog

2018/09/11
natsu

生まれてウェディングと共に生きて 06

高校1年の終わりに少しずつ変わっていったこと

・ご飯を食べる量が少なくなっていった

・急に勉強が出来るようになっていった

このふたつの変化は急激だった。

バセドウ病が分かってからは

体育の授業は見学が多くなった。

少しの運動で動悸が激しくなるので

運動が出来ない。

駅の階段を登るだけで だいぶつらい毎日。

そんな中

薬を飲み始め ホルモンの値の調整が始まり

一番すぐに表れた効果は 学校の成績だった。

1学期は数学で1桁を取っていたわたし。

勉強に集中出来るようになり、何でも分かり始める。

得意不得意は特に無くなり、まんべんなく

理解できるようになる。

理解、というより暗記力が半端なく強くなった。

勉強のベースは暗記力。

分野問わずすべてを暗記し始め

勉強の仕方が分かってきた。

3学期から急激に成績があがり、いつの間にか

クラスの上位になっていた。

一番下だったわたしが。

これほどまで病気が成績に顕著に表れるなんて

今思っても不思議。

そしてもうひとつの大問題は

ご飯を食べる量が減ったこと。

少しずつ少しずつ、意識し始めて

高校2年になった時、加速を始めた。

高校2年の1学期、その時点でわたしはマイナス10キロになっていた。

母親は毎日心配が大きくなる。

そして成績はクラストップになっていた。

痩せ始めておしゃれも可愛く出来るようになってきた。

嬉しくなったわたしは当時大人気だった

内田有紀の写真を持って美容室へ。

人生初めてのショートカット。

おしゃれも楽しい。減る体重も楽しい。

ここまでで止めておけば良かった。そうしたら

この先の未来はどう変わったのかなと思うほど

ここが境い目。

ここからいくつかの問題が生まれてゆく。

友達と出かけるとご飯やデザートが食べれない。

レストランに入っても

カロリーの一番低いものをいかに選ぶか

たくさん食べるで有名のなっちゃん

大丈夫?ってみんなに思われていたと思う。

だんだん

友達と外食することが出来なくなる。

そんなわたしは

さらに2キロくらい痩せて 夏休みを迎える。

身体は大分やせ細ってきた。

今日も読んでくれてありがとうございます^^

ここから始まっていた母親の苦労は今でも

頭があがりません。

母親を大事に想う強い気持ちは

きっとここから生まれていると思う。

今日もわたしを知ってくださったことに

感謝をいっぱい込めて。

Natsu.